どちらも歴史的

お久しブリです。

またもや恐竜界(考古学?)で発見があったようですね。
21世紀になっても前例を覆す発見があるとは、何とも興味深いです。

以前も書きましたが、私が小さい時、恐竜は尻尾を引きずっていると、
そう考えられていたのですから、ずいぶん恐竜へのイメージも変ったものです。

世界最大級の恐竜化石、アルゼンチンで発見

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 体長26メートル、体重59トンと推定される新種恐竜の化石を南米アルゼンチンのパタゴニア地方で発見したと、米ドレクセル大学などの研究グループが英科学誌サイエンティフィック・リポーツ(電子版)で4日発表した。化石はほぼ完全な状態で、正確な体重を推定できた恐竜の中では世界最大としている。

(画像)南米アルゼンチンで発掘された巨大草食恐竜のすねの骨の化石と並ぶ米ドレクセル大の研究者=研究チーム提供・共同

 発見したのは竜脚類ティタノサウルスの一種。大腿骨などの大きさから推定した体重はアフリカ象12頭分で、最大級の肉食恐竜ティラノサウルスの7倍にあたる。骨格の特徴などから「死んだ時も成長途中だった」(ケニス・ラコバラ准教授)とみられる。

 大型戦艦名と研究出資者の名前にちなんで「ドレッドノータス・シュラニ」と命名された。

 竜脚類恐竜は草食動物で、約6600万~1億年前の白亜紀後期に南半球を中心に生息していた。大きな脚が特徴で、長い首を利用して大型の樹木やシダなどを食べていたとみられる。

 推定体重100トン前後とされる竜脚類恐竜アルゼンチノサウルスは骨の一部しか見つかっておらず、体重に誤差があるとみられている。今回は頭蓋骨を除く7割の骨が見つかり、ほぼ正確な体重が分かった。

【転載終了】




こういう歴史的な話題は何も海外だけではありません。
寄贈された日本刀が、なんとあの正宗だと確認され公開されるのだそうです。

名刀「正宗」:150年ぶりに確認 和宮ゆかり「島津」

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◇10月15日から京都国立博物館で初公開
 江戸時代末期の1862(文久2)年に皇女和宮(かずのみや)(1846〜77)が徳川第十四代将軍・家茂(いえもち)(1846〜66)に嫁ぐ際、徳川将軍家が天皇家へ献上し、その後所在不明だった名刀「島津正宗」が約150年ぶりに確認された。個人所蔵となっていたが、2013年度に京都国立博物館へ寄贈された。「名工中の名工」といわれる正宗作とされ、専門家も「国宝級の名刀」と評価。10月15日から同博物館で初公開される。

 江戸時代中期に八代将軍吉宗が刀剣の鑑定や研磨を生業とする本阿弥(ほんあみ)家に編集を命じ、その後刀剣の評価基準となった「享保名物帳」には「島津正宗」の名が見え、長さ「二尺二寸七分」と記載。また、1919(大正8)年に発行された「刀剣名物帳」には和宮降嫁の際、徳川将軍家が島津正宗に金千両を添えて天皇家に献上したと記されている。無銘で、名前の由来は分かっていない。

 所在不明になったのは献上から間もない時期。同博物館によると、寄贈した大阪市内の個人が69年、天皇家に近い近衛家から譲り受けたという。

 同博物館学芸部の末兼(すえかね)俊彦研究員(金工)によると、長さが享保名物帳の記載通り2尺2寸7分(68.7センチ)であることや近衛家に伝来していたこと、江戸時代の刀剣カタログ「継平押形(つぐひらおしがた)」記載の島津正宗の刃文が酷似していることから実物と断定した。

 刀剣研究者の渡辺妙子・佐野美術館(静岡県三島市)館長は「刀身の鉄の中に見える模様の特徴や禅僧が一気呵成(かせい)に書いた墨跡のような躍動感ある作風は正宗作に間違いないだろう。名工の刀を献上することで、将軍家は和宮をいただくにあたり最高の礼を示したのではないか」と話す。

 京博の「平成知新館」オープン記念展「京(みやこ)へのいざない」の第2期(10月15日〜11月16日)で公開予定。

【転載終了】

うう、見に行きたいけど…京都かあ~遠いなあ~。
ちょうどこのタイミングで京都へ修学旅行へ行く人は…うらやましい…。

リンクを貼っておきます。
京都国立博物館『平成知新館オープン記念展 京へのいざない』

待っていれば上野の国立博物館に来るでしょうかね…。
ああ、でも久しぶりに京都へ行きたくなってきました。



こういう話題を聞くと歴史は今も生きているんだと実感します。
きっとこれが歴史を学ぶ楽しみの一つなんでしょうね。

ありがとうございました。





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