ノーベル賞が埼玉に

お久しブリです。

志望校合格をゴールではなく、未来へのスタートにする専門家、ブリさんこと神澤武利です。

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いや~ノーベル賞っちゅうのは、
全然遠い話の出来事だったんですが、
今年のノーベル賞はちと違います。

いままで埼玉県にいて、
こんなにノーベル賞を身近に感じることなんて
ひとっつもありませんでした。

それがどうでしょう。

ノーベル賞・梶田さん、大村さん ゆかりの施設 喜び一色


埼玉に縁の深い二人の学者にノーベル賞が贈られることになった。六日に物理学賞が決まった東松山市出身の梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)と、五日に医学生理学賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授(80)。大村さんにゆかりのある学校や施設では六日に受賞報告会が行われるなどし、喜びに包まれた。

 北本市西部の緑あふれる約二万九千平方メートルの丘陵地に広がる北里大学メディカルセンター。一九八二年、経営不振に陥った北里研究所病院(東京都港区)を立て直す切り札として大村さんが提案したのがこの地だった。大村さんは土地の購入費や建設費に自身の開発したワクチンの特許料を注ぎ込んだという。

 同センターの広瀬隆一病院長(60)は六日、「私たち職員一同、いつ頂けるのかと心待ちにしていただけに非常にうれしい」と喜びを語った。

 同センターの病院内には多く絵画が展示され、「絵のある病院」として知られている。大村さんが「単なる病院ではなく、文化の発信地に」と、約千七百点に及ぶ自身の絵画コレクションを学校法人北里研究所に寄贈。絵画は敷地内の一角にある「大村記念館」の地下倉庫に収蔵され、その一部が北本を含む三拠点の病院や記念館内で展示されている。絵の入れ替え時は大村さんが訪れ、自ら入念に選んでいるという。

 同館は絵画のほか、大村さんの研究の歩みや功績についての資料が展示されている。開館は毎週月、水、金曜の午前十時~午後二時。入場無料。問い合わせは同館=電0485(93)5131=へ。 (花井勝規)

【転載終了】


おまけに
当塾卒業生も多数進学している
川越高校の名前が…そして、
埼玉大学…それだけでなく
私の実家のある東松山…わお!

見知った地名や学校名が
たくさん出てくるではありませんか!笑

ひとりで興奮してしまいました。

梶田さんにノーベル賞 埼玉出身で初受賞、母校から喜びの声あふれる


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宇宙の謎に挑み続けた日本の「お家芸」が再び光を浴びた。「こんなことになっちゃった」。ノーベル物理学賞の受賞が決まった東大宇宙線研究所長・梶田隆章さん(56)=東松山市出身=は6日、戸惑いながら妻に快挙を報告した。科学の常識を変えたニュートリノの検出から四半世紀。小柴昌俊さん(89)の背を追い続け、師弟受賞を決めた。埼玉県出身で初めてのノーベル賞受賞。母校の川越高校や埼玉大学では喜びの声があふれた。


■「すごく努力した結果」と賞賛/川越高

 卒業生のノーベル物理学賞受賞の知らせを受けて、梶田さんの母校の県立川越高校は6日午後8時半から、青木勇藤校長(57)や同校の同級生で現在、同校の化学担当の新津雅之教諭(57)らが会見を開き、「本当にうれしい」「天才肌ではないので努力した結果だろう」などと賞賛した。

 同校によると、梶田さんは高校時代、新津教諭が部長を務めていた弓道部に在籍していた。また、13年から政府の理科振興事業「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」の同校の運営指導委員に委嘱され、母校のために生徒に助言をしたり、研究発表会で講評するなどしている。

 この日、同校職員室では、小川剛教頭らがインターネットでノーベル賞会見のライブ中継を見ていたが、梶田さんの名前が読み上げられ、写真が映し出されたため、受賞を確信。その瞬間、小川教頭は「耳を疑った」といい、同席した職員らは驚きと感激の渦に包まれた。

 青木校長は「心からお祝い申し上げる。OBが受賞したことで、本校の生徒には大きな励みになり、教育活動を一層充実させていきたい。今後は受賞の垂れ幕を掲げ、学校全体でもお祝いをしたい。生徒には懸命に勉学に励んで梶田さんの後に続いてほしいと言いたい」と話した。

 高校と大学も同窓で、梶田さんと同じ弓道部だった新津教諭は「高校時代はまじめという印象。3年生は4月で部活は辞めるが、彼は6月の大会までやっており、一途なところがあった。天才肌ではないが、大学や大学院ですごく努力したのだと思う。受賞は本当にうれしい」と語った。


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■初の受賞者輩出に歓喜/埼玉大学

 梶田隆章さん(56)が卒業した埼玉大は受賞が決まった6日夜、同大で記者会見し、埼大OBでもある山口宏樹学長は「学長としても、同窓生としても大変うれしく思う」と同大初となるノーベル賞受賞者の輩出を喜んだ。

 同大によると、梶田教授は当時、弓道部に所属。1979年には関東学生弓道選手権の団体優勝メンバーとして活躍した。山口学長は「弓道部には思い入れがあったようで、部誌にいろいろなことを書いていた。文武両道を歩まれた方」と話し、周囲には「弓しか引いていなかった」と話しているという。

 同大大学院理工学研究科で素粒子理論を研究する佐藤丈准教授は、梶田さんと研究会や国際会議で一緒になることが多いという。「気さくな方なので、研究会の後は普通に飲みに行く。とにかく初対面でも話しやすい人。実験物理の人は敷居の高い人も多いが、梶田さんは気さく。要点を抑えていて説明がうまい。お酒は強いですよ」と笑う。

 山口学長は「埼大は地味な大学だが、学生は真面目で、自由闊達(かったつ)に研究をやれる雰囲気がある。そういう教育方針が伝統的に引き継がれ、今回の受賞につながったと、私としては考えたい」と笑顔だった。

【転載終了】


そこのあなた!
埼玉のことを『ダサイタマ』とか
言ってませんでしたか?

「なめたらいかんぜよ笑」
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とうことで、
埼玉在住の私がとっても嬉しい
ノーベル賞受賞関連のニュースでした。

県立川越高校は『ウォーターボーイズ』以来の
注目度…影響で受験倍率が上がるか…?

ああ、職業病ですね…、
すぐにこういうことを考えるのは。泣




そういえば今朝の朝日新聞に
梶田さんの寄稿文がありました。
素晴らしかったです。

こういうものこそ
子ども達に読ませたいですね。

ありがとうございました。





大村智 - 2億人を病魔から守った化学者


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